2015年05月22日

本物の信仰がある場所

何の希望もないが、それでも希望を抱くこと。それがまことの信仰のしるしです。

何の希望もないということと、それでも希望を持ち続けることとが、取っ組み合いをして争っているというのです。

何の希望もないことと、それでも希望を持ち続けることとが戦っているところ、そこだけに本物の信仰が存在しているのです。

アンデルス・ニグレン
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2010年08月16日

あなたがたは幸いである

貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。
人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。
その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
(ルカによる福音書第6章20−23節)


「飢えや悲しみもあるかもしれません。でも、それらも、私どもの生命である神さまの御支配の中に置かれているのです。
 ほんの短い間、飢えや悲しみに心奪われることがあるかもしれませんが、神さまが与えて下さる永遠の生命のほんの一部に過ぎません……
ほんの短い間だけ、この世が抵抗するのを見て、私どもが神さまの御腕の中にあることを疑ってはいけません。

『あなたがたは幸いである』の言葉は、
 疲れ果てた私どもにイエス様が、今ひととき持ちこたえよ、
 すぐに安心して休めるからとの、励ましの言葉に他ならないのです。」


(H・ゴルヴィツァー)
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2010年07月20日

人間は、戦いの中で、まったく正反対のことをしてしまう

これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。
(ルカによる福音書第5章8節)



本来、ペトロは、主よ、お助けください。わたしのもとにいてください。わたしは罪深い人間なのですから。そう言うべきであった。

しかし、人間は、戦いの中で、まったく正反対のことをしてしまう。自分を救って下さる方から逃げてしまうのである。

そこでイエスはもっとも大きな、そして主、本来のわざをなさる…

罪の赦しをなさる。

(H・J・イーヴァント)
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