2018年06月08日

神の種

私どもが死ぬ時、これは実際には死ぬことではなく、来るべき夏のために、種がまかれることを意味するのであると。そして墓や地への葬りは死のむちを指すのでなく、神の種として知られており、再びいっぱいに花が咲き、想像できないほどに美しく育つ、種で一杯に満たされた野を指しているのだと。

(マルティン・ルター「コリント1章15章の注解」より)
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2015年05月22日

本物の信仰がある場所

何の希望もないが、それでも希望を抱くこと。それがまことの信仰のしるしです。

何の希望もないということと、それでも希望を持ち続けることとが、取っ組み合いをして争っているというのです。

何の希望もないことと、それでも希望を持ち続けることとが戦っているところ、そこだけに本物の信仰が存在しているのです。

アンデルス・ニグレン
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2010年08月16日

あなたがたは幸いである

貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。
人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。
その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
(ルカによる福音書第6章20−23節)


「飢えや悲しみもあるかもしれません。でも、それらも、私どもの生命である神さまの御支配の中に置かれているのです。
 ほんの短い間、飢えや悲しみに心奪われることがあるかもしれませんが、神さまが与えて下さる永遠の生命のほんの一部に過ぎません……
ほんの短い間だけ、この世が抵抗するのを見て、私どもが神さまの御腕の中にあることを疑ってはいけません。

『あなたがたは幸いである』の言葉は、
 疲れ果てた私どもにイエス様が、今ひととき持ちこたえよ、
 すぐに安心して休めるからとの、励ましの言葉に他ならないのです。」


(H・ゴルヴィツァー)
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